『間違うこと』のススメ

 


 私たちは、「勉強する」ということを、「正しいこと」を覚えることと思い込んではいないだろうか?「正しいこと」をたくさん覚え込めば、それが、「できる」ことにつながると信じすぎてはいないだろうか?
たしかに、新しい知識は、それをまず「覚える」ことから始まることには間違いない。しかし単に覚え込んだというだけでは、確かな知識として身についたことにはならない。それを使ってみてはじめて、それが「自分の」知識として、「自分」の身についたと言えるのである。

 数学(算数)の例をとってみよう。
何か新しい公式や解き方を習ったとき、まず「教えられた通りに」やってみたつもりでも、往々にして、使い方を間違えたり、勘違いをしたり、行き詰ったりしたという経験は、誰もが持っているはずである。そこでまた、例題を読み直したり、考え直したりしながら、何とかひとつの問題を、最後までたどり着くことができる。そして更に別の問題でも同じようなことを繰り返しながら、その新しい公式なり解き方なりを身につけていくのである。
こうした試行錯誤こそが、新しい知識を「身につける」仕組みである。
ここで大切なことは、何らかの「間違い」が原因で「正解」にたどり着けない場合に、そこまで自分がやってきたことを、すべてダメだとして、全否定してしまわないことである。たしかに「正解」にたどり着けないのは、そこまでの過程の中に何らかの「誤り」が含まれているからに違いない。だからといって、そこまでの過程すべてが「誤っていた」とは限らず、むしろ大抵は一つか二つの「間違い」が含まれていたに過ぎないことの方が多い。大部分は正しく考えていたのだけれども、わずかに一つか二つのミスのために「正解」に行き着けなかっただけなのだ。そこで、もう一度、自分のたどった解き方の道筋をたどり直し、間違いを発見し、正しく修正してゴールへと向かう。その「行ったり来たり」こそが、「勉強する」ことの中核であり、最終ゴール地点で得る「答」そのものは、そのオマケのようなものに過ぎない。
つきつめて言えば、「間違うこと」ところにこそ、「正しい」ことを身につけて「できる」ようになるための方策が潜んでいる。一生懸命考えた上で「間違い」となったときこそ、それまで自分が身につけていた知識の上に、新しい知識が加わる瞬間である。その経験を経ないで、本当の知識を身につけることは不可能なのである。

 「間違う」ことをおそれず、試行錯誤を繰り返しながら、果敢に挑戦していくことによって私たちは成長し、それまでよりも更に大きくなった「自分」を獲得できるのではないだろうか。

 

本田 和文