真夏の記憶

 

暑い。それにしても暑い。一体気温は何度あるのだろうか・・・。

 朝5時に簡易ホテルを出たころは快適なくらいに涼しかったのだが、今では雲ひとつない空からの直射日光と砂漠からの照り返しで相当な体感温度である。
「わあっ!!」
僕は危うく、乗っているラクダから振り落とされそうになった。

 前日の7月30日、僕と友人の2人はリュック一つという出で立ちで、真夏のエジプト・カイロ空港に降り立っていた。
 3ヶ月間アメリカ1人旅をしたことのある友人は「何とかなるさ」というのだが、海外が初めての自分としては、不安だらけの旅である。カイロを拠点に、ルクソール(王家の谷がある)など4つ町には鉄道で移動し、現地で「地球の歩き方(ガイド)」を参考にホテルを決める(安いことが第一条件なのは言うまでもない)ことになっていた。これだけでも十分不安なのだが、実は帰りの航空券がとれていない。一応2〜3週間の滞在を予定していたのだが、帰国の日はキャンセルがいつ出るかに全てかかっている。その一方で1ヵ月半後には、大学の実習授業(9泊10日で北海道に行く)が控えていて、この前日までに帰国できなければ我々2人は卒業が1年延期となってしまう。そういう意味でかなりの「冒険」の旅であった。
 エジプト到着2日目。ピラミッド見物のため僕らは朝早くカイロ郊外のギーザにやってきた。そこで観光客をラクダに乗せて商売をしている店がいくつもあるのを知り、せっかくだからということで、有名な3つのピラミッドだけではなく数qはなれたところに点在する旧式のピラミッドも含めてラクダに乗ってみて回ろうということになった。

 ということで、砂漠の上をラクダに揺られているわけだ。僕の前には店と契約したガイドが馬に乗っており、後ろには友人がやはりラクダに乗っている。3頭とも離れないようにひもで繋がれている。ラクダの背は高く、あるく時のゆれの振幅も大きい。走り出すと振り落とされそうだ。
 2時間くらいが経った。ミネラルウォーターのペットボトルはもうとうの昔に空。のどの渇きとあまりの暑さで頭がボーっとしてきた。このときになるとさすがに後悔の念がわいてきたが、もう遅い。何度かラクダの背中からころげ落ちそうになりながら、やっと目的地にたどり着く。小さなオアシスの木陰で横たわると、1時間ほど泥のように眠った。
 帰りも行き同様に辛かったが、なんとか気を失わずにすんだし、ラクダからも落ちずに無事すんだ。そんなこんなでギーザまで戻ってきたときには、憧れのピラミッドを目にしても、不思議と感激の気持ちがわいて、、、、、こなかったのを今でもよく憶えている。

 他にも数多くの体験をした。文化の違いには何度も驚かされた。間違えて購入した乗車券は頑として払い戻ししてくれない。予定外のことは一切融通が利かないのだ。駅員も博物館の職員も空港職員もやたらにエラそうだ。異教徒に対する冷たい視線も何度となく浴びた。たくましく生きる現地の人に何度もだまされそうにもなった。つり銭を間違えたふりをされたのは数え切れないくらいだ。日本人=カネと考えている人が多いことを思い知らさられた。
 そんな時、長期滞在したホテルではエレベーターボーイの純朴な青年と仲良くなり、片言ながらお互いの国について語り合った。彼は、質の高い車・カメラなどを作る日本はスゴイという。たしかに、見渡せば町を走る車のほとんどは日本車(ただしかなり旧式)だ。そんな日本を尊敬しているとのことだったが、なぜ日本はアメリカのいいなりになるのかとも尋ねられた。彼の目は真剣で、それまではあまり深く考えたことがなかった僕はとっさの答えに窮した。

 航空券は2週間後にキャンセルが一つだけ出た。これは予定外なことだった。当然のことながら、1人だけしか帰国できない。しかし、次回以降2つ以上のキャンセルが同時に出る保証もない。僕は友人に頼みこんで先に帰国させてもらうことにした。

 カイロから約20時間で無事成田に到着。
 空港を出て、JRの窓口で成田エクスプレスの全席指定の乗車券を購入する。「お客様、窓側の席も空いていますよ。」と窓口の職員に言われた時不覚にも涙が出そうだった。


 数年後、エジプトで大地震。カイロでは多数の死傷者が出た。そのまた数年後、僕も見物に訪れたルクソールの遺跡で、イスラム原理主義過激派による観光客無差別射殺事件がおきる。犠牲者には多数の日本人観光客も含まれていた。


 あれから日本の社会もだいぶ変わった。そして、僕の身の周りも大きく変化した。暑い夏が来るとあの時の記憶がたまによみがえる。

 

葛城 哲人