15歳

 


                     
どれくらい歩いてきたんだろう
躓いて立ち止まってまた躓いて   
それでも引き返すことは無かったね
まだ歩き続けるんだろう?
いいんだ 少しくらい遠回りしたって

ふとした時突然 暗闇が怖くなったから
ペダルを思い切り踏んでこいでみたんだ
明日から吹いてくる風は 心地よかった
気持ちが楽になっただろう?
いいんだ まだ答えなんて見つけなくて

聞きなれたMDも今じゃ壊れてしまって
まるで世界においてけぼりにされたかのように今日を生きている
帰り道 一人のとき 夕日に映し出された少し背伸びした影
誰かが呼んでいたって 信じることさえ出来なかった

でも

君の笑顔が 僕に勇気をあたえる

君の優しさが 僕を優しくさせる

君の存在が 僕の力になる

大したことじゃない
君と僕が言葉を交わす
ただそれだけのこと

あるがままの君でいい

 

 

僕が中学生であったころ、こんな質問を良く先生に投げかけていた。
「先生 何のために勉強ってするの?」
先生はちょっと困った顔で、腕組みをしてしばらく天井を見上げた後、こう答える。
「大人になるためだよ。」
すかさず僕は、冗談交じりで先生にこう言う。
「大人になんかならなくていいよ。」
先生は優しく微笑み返した。
15歳という年齢は、僕がそうであったように、とても不安定な時期である。生きることに対しての意味。これからの将来、自分がこの先何をしたいのか。人生で初めての分岐点をむかえ、しかも、自分で進んでいく道を決めなくてはならない。
時々、明るい子どもたちの瞳の光の裏側に、何か物寂しい影が見えるようなときがある。塾では笑顔でとても元気良く話しているあの子達は、学校や、家庭ではどのように過ごしているんだろう。とても気になる。
私たち大人が想像している以上に、子どもたちは悩んでいる。
 今では、生徒という立場から先生という立場になって、養哲塾で授業をしている僕が質問される。
「先生 何のために勉強ってするの?」
しばらく考え込んだのち、TVのコメンテーターが、「将来が、武力や戦争ではなく、学力で決まるのはある意味で良かった」と言っていた話を覚えていたので、してあげた。
「もし高校に入るのに、一番力が強い人がいい高校に入れる。一番足の速い人がいい大学にいける。一番かわいい子が有名校に行けるとしたらどう?不平等だよね。だから努力次第でいくらでも伸びる勉強っていうのは誰もが公平に判断できる基準なんだ。みんなも一生懸命努力すれば必ず伸びるんだよ。」
生徒はこう言う。
「俺足速いからその方がいいなぁ!!」
クラスの中に笑いがおこった。
その後帰宅してから、なぜ勉強をするのかを、深く考えた。勉強が進学のためだけにあるというのでは何か物寂しい。しかし中々良い答えが見つからない。
でも時々、問題を解いているときの生徒たちの顔をちらっと見ると、安心する。
ひとつの目標に向かい頑張っている君たちの真剣な表情は、とても素敵だ。
それは、何のために勉強するのかということを、忘れさせてしまうくらいに。
15歳というまだ早い段階で、私は何がしたいとハッキリとした夢を持っている子はそういないし、むしろこれから探していくものである。
それ故に、不安と孤独で押しつぶされそうになっている子も少なくは無い。
今回の詩は、僕の最も好きな言葉の一つである
「自分というものがある。あるがままで十分だ」
というアメリカの詩人、ホイットマンの言葉を借用し、僕なりに、今を必死に生きる子供たちに対するメッセージという意味を含めて作ってみた。
あるがままの君たちでいい。本当にそう思う。
答えなんかまだ見つけなくていい。不安なんて感じることが無いくらい、目標に向かって進んで欲しい。その先にはきっと何かが待っているはず。

子どもたちに教える。とんでもない。たくさんの事を教わっているのは僕の方だ。

 

 

西村 隆太