憧れ

 

私は美しい日本語が好きだ。別に文法的に正しい文章が好きだとか、私が正しい日本語を使っているというつもりではない。私はどちらかというと言葉が汚いほうである。話し言葉はめっぽう汚いという自覚もある。わがままな話かもしれないが、自分の聞く、他人の話す言葉は美しい言葉が好きである。

 

小野洋子の話す日本語が好きだ。
まだ、日本語が美しかった時代に日本を離れ海外で生活を送っている彼女の日本語が好きだ。

 

レストランで
こちら和風ハンバーグになります
と言われれば、

この目の前の物体が『和風ハンバーグ』に変化するその瞬間を見逃さないように、瞬きも忘れ見つめる。

 

言葉が時代とともに変化するものであることも理解しているつもりだ。
間違いを許さない、強烈な文法の力をもってしても押さえつけることが出来ない、それでも変化してしまうとき、それだけのエネルギーを持ったその言葉は本物の言葉になるのだろう。

 

電車に乗っているときに、
この電車は次の駅で回送電車になります。
ご乗車できませんので、ご注意ください。

と車内放送が流れれば、

車掌が降りてしまう電車の行き先に不安を覚え、一人うろたえてしまう。

 

厳格だった、祖父の話す日本語が好きだ。
彼の使っている辞書に"ちょうちょう"の文字は無かった。

 

後輩を食事に誘ってみると、
全然、全然、全然行きますよ。

うむ、彼は用事があるようだ。残念だが他をあたろう。

 

そう、私は祖母が話すような日本語に憧れを持っているのかもしれない。時代の流れに左右されない、美しい響きを持った日本語。私は彼女の話す日本語に憧れを持っているのだ。

久しぶりに実家に帰ると祖母が洗濯をしていた。ちょうど昼飯時だったので、久しぶりに食事でも作ってやるかと思い、

「ばぁちゃん、食事した?
そうめんでよかったらすぐ茹でるけど、そうめんでよいかね?」と聞くと、

全然OK〜

・・・

こちら、そうめんになります・・・・

 

しんたろう