天才の条件

 


 生物の体は細胞という小さなセルが集まって構成している。その細胞の中には核と呼ばれる生物の情報を持っている小さな物がある。この細胞はこんな形になりなさい、そしてこんな働きをしなさい。生物としての全ての情報がその小さな核の中には保存されている。

 人間だって変わりはない。一つの小さな細胞であった受精卵が、この核の中に含まれている情報を小さな細胞がそれぞれ丁寧に具現化することで、複雑な人間の体を構成するようになる。

 では、この核の中に含まれている情報はいつ保存され、いつ更新されるのだろう。実はこの情報は更新されることは一生涯ない。父親と母親の子供として生まれたときには核の中の情報は既に決定されている。母親のおなかの中で受精卵として存在した瞬間にこの情報は決定されているのである。そしてその情報はその個体が死ぬまで、いや死んでも決して更新、削除されることはない。すなわち、自分が生まれたときには各細胞内の情報は全て決定されているのである。これが遺伝だ。

 遺伝する情報は様々である。つめの形、髪の毛の色、瞳の色、赤血球の形。数え上げたらきりがない。ただ、間違えてもらっては困るのは全てが両親のどちらかと完全に同じになるわけではないことである。遺伝子の中に含まれている全ての情報が発現しているわけではないのだから。父親も母親も瞳の色が黒くても、それぞれが瞳の色が青くなる遺伝子を隠し持っていれば、子供の瞳が真っ青になることもありえる。

 「○○ちゃんのお父さんも、お母さんも東大でしょ。○○ちゃんが頭良くてもあたりまえだよね。」これは真実だろうか。様々なものが遺伝すると言ったが、唯一遺伝しないものがある。それが生まれた後に経験したことの情報である。例えば、人の記憶などである。生まれてきた子供の記憶に両親が若い頃に体験したことの記憶が無いことは明確である。同様に両親が努力して覚えた英単語や、努力して手に入れた計算力、発想力などは一切子供には遺伝しないのである。生まれ持った脳の質に違いがあるのではないかという反論もあるだろう。もともと脳の質の良かった両親が勉強し、その結果東大に入った、その子供の脳の質も当然優秀で、同じ勉強をしても他の人よりも吸収が早いと。

 しかし、脳の質を決定する脳内の複雑さはその個体が生まれた後に受ける刺激によってのみ決定される。すなわち、子供が生まれてからかけられた言葉、見てきた映像、音、読んだ本などから受ける刺激が唯一脳を複雑化してくれる。生まれる前の情報は脳に何ら影響を与えないのである。その個体の脳の複雑さはその個体が生まれてからどれだけ良質の刺激を脳に与えることができたのかで決定されているのである。一卵性双生児達が同じ能力を持っているだろうか。遺伝子が完全に一致している二人でさえ脳の構造には明確な違いが現れる。

 それでも、同じ物を同時に始めているにもかかわらず、理解も吸収も早い人がいるように感じるだろう。たしかに、通常一勉強して一吸収するところを一勉強して十吸収する者がいる。その差はどこから生まれるのか。生まれ持った脳の質の差だろうか。両親の血統であろうか。いや、そのどちらでもない。その差は今までに脳に送った刺激の量と質の差なのである。語弊を恐れずに言えば、今まで勉強してきた時間の差なのである。覚えている英単語の数の差を言っているわけではない。脳に送った良質な刺激の量のことを言っているのである。今まで過ごしてきた環境に差があれば、当然現在の脳の質には差が出てくる。同じことをやっても吸収する量に違いが出てくるかもしれない。

  今まで意識して脳に刺激を送ってこなかった者と、意識してコンスタントに刺激を脳に送ってきた者ではその脳の複雑さに圧倒的な差があるだろう。今まで生きてきた人生の長さを考えれば、一日や二日徹夜して勉強した位ではその差を埋めることが出来ないことは容易く理解できる。マラソンでスタートの合図が鳴っているのに生まれてから今まで気づかずに立ち止まり、もしくはただ歩いていたようなものだ。先頭は遥か彼方を走っているだろう。今から走って追いつくとは思えない距離かもしれない。自分が走り出したところで、先頭の人たちだって走っている。しかも相手は今まで走ってきたのだ、走ることになれているであろう。自分よりも遥かに走ることに長けているかもしれない。そう思えるほどに差があるかもしれない。

  人はこんな状況に置かれたらどのように考えるのだろう。もっと早くにスタートすればよかったと後悔するだろうか、何も気にしないだろうか、慌ててスタートするのだろうか。多くの人は後悔するのだろう。生まれに差はないのである、同時期にスタートしていれば先頭とはいわなくてもこれほど差がついてはいないはずだ。

 ところが、この状況において喜びを感じる者がいる。遥か昔に鳴り響いたスタートの合図に今更ながらに気が付けたことに喜びを感じる者がいる。


二つの選択、走り始めるか否か。
今の後悔は五年後の後悔。今の選択は五年前の選択。


佐藤 信太郎