非常識のすすめ

 


 今から十年くらい前、僕がみなさんと同じくらいの年代だった時、あと数年で二十一世紀だということで、テレビでは毎年のように「二十一世紀に残したい歌」の特集が組まれていました。古臭い歌の好きな僕としては、結構楽しんで観ていたのですが、毎年不思議に思っていました。美空ひばりとか「神田川」とか、いわゆる「常連」はもちろん上位を占めているのですが、その年にヒットした歌も「二十一世紀に残したい歌」として当然上位に入ってきます。ただ、僕が不思議だったのは、この最新のヒット曲は、もちろんアンケートなどで集計をとるから上位にランクインするのですが、次の年――二十一世紀になる前に、すでに「二十一世紀に残したい歌」ではなくなってしまっているのです。多分、その時の流行でランクインしていた最新のヒット曲も実はそんなにいい歌ではなかったのでしょう。にもかかわらず、毎年毎年あと2、3年で忘れられる「ヒット曲」が毎年毎年「二十一世紀に残したい歌」としてランクインする・・・。

 僕が感じていた不思議は、みんなが当然いいと思っていること、当たり前だと思っていることとは、よく考えてみたら別にいいものでも、当たり前のものでもないんじゃないかということです。

 塾で教えていた者として、勉強の話をすれば、勉強というか学問も、本当は「当たり前」のことを疑うことからはじめるのではないかと思います。

 古代人にとっても、現代人にとっても、普通に見れば太陽は確実に動いています。地球が自転しているって知っていても実感できない。だけど、そんな当たり前のことに疑問に思って「それでも地球は動いている」って言った人がいたから、学問が出来たんだと思います。そう言った人は、何もひねくれ者だったからではなく、「なんかおかしくない?」と疑問に思って、勉強してみて「やっぱり地球が動いているんだ」と理解できたはずです。ただし、みんなが言うことに対して疑問を持つためには、なぜみんなが言うように「動いているのは太陽」ではないのか説明しなければいけませんから、みんな以上に勉強しなければいけませんが・・・。

  「地球の自転」と頭で知っていることと、「動いているのは本当に太陽なのか」と疑問に思うことは全然違います。逆に言えば、「動いているのは地球だ」って学校でも教わるしそれが事実だからと言って信じ込むことと、「動いているのは太陽だ」って信じ込んで、「地球の自転」を主張する人を迫害することはあんまり変わらないことです。

 みんなが言っていることを信じ込むことに対して、それに疑問を持って「なんで?」とか「おかしくない?」と問うことは、勉強に一番必要な態度であると同時に、一番不安定で、もしかすると危険なことかもしれません。でも、この危険なことに挑戦して、何度も何度も「みんなはこう言っているけど、なんかおかしくない?」と問うことが出来るのは、特にみんなの時期なのです。

 『裸の王様』というお話はみんな知っていると思います。大人たちは王様を恐れて、何も着ていない王様の「衣装」を褒め称えましたが、子供だけが「王様は裸だ」ということが出来たのです。

 王様の時代であれ、天動説の時代であれ、そして二十一世紀の今でもいろんなところであいかわらず「王様は裸」だと僕は思います。九十年後くらいにもおそらく「二十二世紀に残したい歌」で「最新のヒット曲」がランクインしてすぐ消えるでしょう。

 これを読んでくれているだろう方々は、これから本腰を入れて勉強しようと思っている人たちだと思います。中には今までは親にいわれていたからとか、勉強するのは当然だからいう理由で勉強していた人たちもいると思います。でもそれも、「動いているのは太陽だ」とか、「裸の王様の衣装は美しい」と信じていることと変わらないですね。

  「なんかおかしくない?」と疑問を持って、さらに「いや、それでも地球は動いているんだ」、「王様は裸なんだ」と自信を持って言える人がたくさんでてくることを遠くから期待しています。

 

 

渡名喜 庸哲